鋼の錬金術師(新) 第27話~第29話
最近俺の中でこの作品でのメインヒロインの座をランファンが奪いつつあるんだけどどうしよう。ランファンかわいいなあ・・・。身を案じているが故に辛く厳しく当たる理想的な姉の姿をランファンにみた。 ベテラン声優が揃い踏みのこの作品だけど、石塚運昇の声を聞くとひときわ染み入るものがあった。なんだろう。いいなあ。わりかしボンズ作品での起用率高いよねこの人。
ミラクル☆トレイン 大江戸線へようこそ 第1話~第4話(新)
男女それぞれの目線の高さが、目測で20センチは違う。男女の身長差がものすごく激しい。 統計からすると、日本人の平均的な身長を男女間で比較してみたら10~13センチほどの差があるとされていて、それを踏まえてみるとますますこの作品における男女間の身長差が奇妙なものに見えてくる。特にアカリなんかを見ると異様さが際立っていて、さすがに味付け程度のデフォルメを施された少女キャラクターとはいえここまで小さいのは・・・。ただ、よくよく見てみると、実は女性キャラクターの身長が低いわけではなく、男性キャラクターの等身がCLAMPの描くキャラクター並に高いだけだということに気付く。 いわゆる「腐女子向け」の作品ではない、つまり自分がいつも見ているような作品における男性キャラクターの身長は、(当たり前のことだけど)女性キャラクターの身長と比率をあわせていて、たとえば正面から男女二人をバストショットで映す構図があったとして、二人の顔が画面の上下端それぞれギリギリの位置にある、なんてことは(特殊な例を除いて)ほとんど無いように思う。だけどこの作品では、バストショットぐらいキャラクターに近い構図だと、ほとんどフレーム内に収めるのに精一杯なくらい顔が離れている。自分たちが普段生活している日常の感覚で言えば、これはかなり異様なことのように見える。いいともの夏休み企画か何かで「身長差カップル」として取り上げられてもおかしくないぐらいには異様に見える。 なにが言いたいかというと、萌えアニメに出てくる男って身長低いよね、という話でした。おしまい。この作品は切る。ごめん。
生徒会の一存 第1話~第4話(新)
何よりもまずこの作品について言うべきことは「げんしけん」との類似性だと思った。わかる人にだけわかればいいとでも言わんばかりにパロディの応酬を視聴者に食らわせるこの作品だけど、生徒会メンバーのセリフを聞いているとどうもそれらは「誰かに見せる」ことを前提としたパロディではなく(メタではなく)、閉じた人間関係の中で完結する、あるコンテンツを観た人同士、たとえば映画館から出てきたカップルや、部室内で談話するオタク(アニメやライトノベル、マンガに留まらず、映画から小説からいろんな対象についてのオタク全般)同士の会話に似た、キャラクター同士の会話とでもいうか、視聴者を名実ともにほったらかしにしているような感じがある。会話劇の舞台は生徒会室から動くことはほぼ無く、お互いの手の内を知り尽くした1+4人が、緩い会話を続けている。やっぱり男女構成比の変化した「げんしけん」だ。くりむは、「エロゲのヒロイン」ではなくて、「普通の高校生」なのだ。 そんな中、第3話において登場した藤堂リリシアの描かれ方には、生徒会メンバーでないことを生かしたなかなか面白い部分があった。 生徒会のメンバー以外の人物が基本的に登場しない(ここでは先生も生徒会メンバーに加えてしまうことにする)ことは、すなわちこの作品が外部からの視点を決定的に欠いているということでもある。実際には、外部からの視点は私たち視聴者にそのまま委ねられているのだけど、それを生徒会メンバーが意識することは(ほぼ)無い。上述したように、彼女らの会話はあくまでオタク同士のそれだからだ。そこに現れた藤堂リリシアは、生徒会に入ることを希望していたが、投票システムの中で敗北し、生徒会へのコンプレックスを抱きながら新聞部での活動をしており、コンプレックスのためか否か、生徒会メンバーについては辛らつな口調で記事を書く。取材という形をとって彼女は生徒会メンバーに漸近するのだけど、やはり彼女が生徒会メンバーの関係性の中に割ってはいることはできない。 そんな彼女の微妙な立場が、第3話においては演出面・構図のとり方の面でも描かれていた。如実に出ていたのが、Bパート後半、掲示板の前でリリシアが杉崎と会話をし、掲示板のちょうど正面にあった階段を杉崎が昇ろうとしたところで、リリシアが彼を止め、二人が一瞬見つめあうさまを、二人の表情を交互に映し出すことで表した一連のカット。ここで、掲示板に貼られた壁新聞は、まさしく生徒会を外部から見た様子であって、それについて語る二人は、掲示板を語ることにより、生徒会を外部から語っているということになる。その後、生徒会室に戻るために(ここ重要)、階段を昇る杉崎を、リリシアは見上げながらまた杉崎に生徒会について問う。杉崎とリリシアの間にある数十センチの高低差によって、リリシアがどれだけ生徒会について悪口を吐いても、杉崎の態度にも表れていたように、生徒会には文字通り手を出すことが出来ないことが示される。 この前にも、紅葉とリリシアの上下関係を高低差によって示すことで、絶対的な威圧感とサディストとしての紅葉のキャラクター性を強化する生徒会室内でのカットもあったりして、本当に第3話は高低差を用いたキャラクター間の関係性の描写が多かった。リリシアは常に生徒会メンバーよりも下に目線の高さがあって、彼女の生徒会に対する憧れ、その反動による執拗な悪口を彼女自身に納得させる回においては、正解というほかない、良い演出だったと思う。
ささめきこと 第1話~第3話(新)
もう(新)でもなんでもないくらいの時期に差し掛かっている気がしなくもない。最近は忙しくてなかなかアニメを見る時間がとれない。 「友達」と恋人の間にあるものを追っているように見えるこの作品の物語。その対比構造はそっくりそのまま風間汐の「かわいい」と「かわいくない」を分けるものにもなっている。モノローグが多用されるこの作品において、風間汐においてのみモノローグは(イメージBGを用いた心の中での妄想、はあるものの)使用されず、彼女の内面が見えないことが、他の登場人物に及ぼしている影響を大きくしていること、つまり彼女が物語のキーパーソンとなっていることには、容易に気付くことが出来る。 そんな中で、第3話におけるウルトラマンの仮面が果たした役割は、とても大きかったように思う。 お互いの目的がすれ違ったまま(汐はあくまで澄夏のファーストキスの練習相手として、澄夏はもちろん愛を形にする手段、キスとして)お互いの利益になる行動とするために、汐が澄夏の思いについて勘違いしたまま用意してきたウルトラマンの仮面。もちろん仮面が間に入っているために、お互いの顔を見ることは、どれだけ近づこうともできない。そんな状態でするキスが、果たして本当にキスと言えるのか?その疑問はとりあえず澄夏の中では消化されたまま、二人は口付けを交わす。両者が「ファーストキスをするとしたら、ここ!」と理想に描いた、夕日に包まれた教室、という最高のロケーションの中で。 と、このシーン最後あたりのカットをよく見ると、実は汐の顔が照りつける夕日に当たり、うっすらと仮面から透けて見えている。 そう、単なる仮面(=匿名のもの)とのキスなら、澄夏の妄想の中にあった「人体模型とキスをする」事と何も変わらないはず。しかし彼女は仮面とキスすることを受け入れる。成り行きの上でそうなったのではなくて、ここには確固たる理屈がある。そもそも「ウルトラマンの仮面」とは何か。ウルトラマンの素顔は、変身前の人間であり、「ウルトラマンを見て、ハヤタ隊員を思い出す」回路は、多くの人の頭の中に根強くある。では、ここでハヤタ隊員は汐となり、ウルトラマンの仮面とのキスは、すなわち汐とのキスと同等の行為だ、と言うことは、少なくとも澄夏の心情を慮った上では、可能だろう。そして仮面の裏に見えた汐の表情は、まさに「ウルトラマン=ハヤタ隊員」であることの示唆とは言えないか。つまり、汐にとっては、仮面を通じたこのキスが、澄夏が仮面に汐自身の姿を重ね合わせることを前提とした上での行為だったこと、「かわいくない澄夏」に唇を奪われないままで、「かわいくない澄夏」とキスをする、そんな倒錯した行為を可能にするもの、そういったことを織り込んだ上のものだったのだ、とすることもできるだろう。 汐にはわかってやっているのかわからないままやっているのか判断のつかないところがあるけど、もしこの「仮面キッス」に関することが自覚の上での行動だったのだとしたら。この物語、かなり面白く思えてくる。彼女だけモノローグが抜けていることは、何を示しているのか。 物語を操作する者、物語のキーパーソン、汐。彼女が自覚するしないに関わらず、周囲の人物たちは動いていく。動かされていく。物語の中枢にぽっかりと空いた大きな穴、それが汐という存在、なのか。
DARKER THAN BLACK 流星の双子 第1話~第2話(新)
同じ設定とごくわずかなプロット(単語単位)が与えられた上で、2話ごとに脚本家が変わっていき、それぞれの脚本家が置かれた状況はほぼ同一であるにもかかわらず、毎話まったく異なった物語が展開していた「裏エンドレスエイト」たる「黒の契約者」とは打って変わって、この第2シリーズでは、脚本家は1話ごとに変わり、キャラクターたちの関係性も刻々と変化し、物語の根幹(双子とその周囲)そのものに絡む事件が、リアルタイムで進行していく。第1期では各脚本家によるシナリオ会議すら行われていなかった(DVDのブックレット参照)のに対し、第2期では明確なシナリオの方向性が固められている。そもそも第1期がなぜヒットしたかといえば、謎めいた作品世界の設定、意味ありげな隠語の多用、キャラクターが背負っているらしい何か等々の「解明したくなる事柄」がこれでもかとぶち込まれており、作品を鑑賞すると同時に謎解きを進めるような、そんな楽しさがあったからだったんだけど、結局のところ、狙ってかどうかは知る由も無いが、謎は謎のまま、何も明らかになることが無いままに25話の放映は終了し、視聴者は作品の裏側にあるものを見ることが出来ず、上っ面をなぞっただけで肩透かしを食らった、そんな感覚が共有されていたように思う。 でもそれは、一つの作品のあり方として自分はものすごく肯定したくて、それはある一つの問題に対して簡単な答えを見せず、バラバラのピースから緻密に物語の裏側を視聴者自ら構築していく作業、つまり視聴者と視聴者の作品を通じたコミュニケーションを促進し、それ自体が次第に作品を鑑賞すること以上の楽しみになっていく感覚を思い出すことで、同時に「アニメを語ること」の楽しさにも気付く、そんな結末が待っているように思えたし、実際そうなったからだった。 でもこの第2シーズンはどうだろう。少なくともこの2話を観た段階で、自分は第1シーズンのような結末を想像できなくなっている。これは、果たしてあの「DARKER THAN BLACK」なのか。まだ物語の行く末も見えないうちから早急に結論を出そうとするのは、まさしく第1シーズンの物語に背く行動だけど、第2期では1期でばら撒いた謎の解明に終始してしまうような予感が、妙にする。 「契約者は感情を持たない」。この大原則があるからこそ契約者たちは平然と人を騙し、ポーカーフェイスで任務を遂行することができる。その中で黒だけが仮面を被っていることについては、単に作中に溢れる謎の一つということを越えた意味がある気がする。彼がいくら仮面を被り、ポーカーフェイスを維持しようとし、表情を隠蔽したところで、彼の行動に付きまとう「人間臭さ」は決して消えることがない。倉庫での追跡劇においても、そうだった。合理的判断を捨てている、と自ら口にしたくらいなので、そのことは明らかだろう。せめて押し殺していられる範囲内では、表情によって感情を読まれ、敵に有利な情報をむざむざ渡すことが無いように、彼が仮面を付けているのだろうということは容易に想像できる。 じゃあ、表情が隠れているのに、「人間臭い行動をとっている」、つまり感情が画面から読み取れてしまうことについては、どう考えればいいのか。もっぱらキャラクターの表情を見て、そのわかりやすい機微、たとえばデフォルメやチーク、細かく言えば目の動きから鼻・唇に至るあらゆるパーツの動きを観察して「感情を読み取る」ことを「アニメのリテラシー」と言うのなら、それは大間違いだということを、この「仮面を被らせたキャラクターに感情を持たせ、視聴者に伝える」試みは明かしてはいないか。キャラクターのキャラクター性を表情に求め、芝居をその動きだけで完結させてしまうのでは、キャラ表に描かれたせっかくの身体が台無しになってしまう。最近は特にそういった傾向を持つアニメが多い気がする。キャラクターの全身を使って、キャラクターに行動させ、その上でキャラクター性を感じさせる、そんな感情表現のオルタナティブを「黒」というキャラクターが提示していると考えると、結構面白いんじゃないか。 < 前のページ次のページ >
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勝手にリスペクト(順不同) パフォーマティヴなアニメ批評ブログ。徹底した自分語りの排除と作品主義的言説に、アニメ批評の一つの極北を見る。 反=アニメ批評 作品間あるいは話数間の相関を重視する姿勢を見習いたい。 WebLab.ota 作品受容の環境から作品を語る。作家がいて作品が成立するのではない、作家と読者の協働関係が無ければその作品は存在し得ない。 metamorphosis 以下は相互リンク 作画・演出面における着目点の鋭さにはただただ感心するばかり。シネフィル的な視聴の質の高さがある。 おっきー大将のアニメ雑記 最新のコメント
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